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魚探の仕組み

魚群探知機の誕生

昭和23年、海中の様子をキャッチできる魚群探知機が長崎の地で誕生しました。魚群探知機を開発し、それを実用的な漁労電子機器として作り上げたのは、長崎県口之津港で船の電気工事業を営んでいた古野清孝・清賢兄弟です。
「わしは海のなかの魚の居場所がわかる。魚がおるとしたら、何百箱おるか、わかるとよ」。
魚群探知機開発のヒントとなったのは、ベテラン船頭さんが古野兄弟にそっと教えてくれた内緒ばなしでした。
「アワよ。魚は海中でアワを出すと。魚のいるところには必ずアワが出るばい!」。漁師さんにとって秘伝の情報でした。
超音波はアワで反射することはすでに知られていましたから、アワが探知できればそこに魚がいることがわかります。この船頭さん秘話が魚探開発の大きな引き金となりました。

乏しい材料で組み上げた魚群探知機の実験を繰り返す兄。機器の実力を実証するために漁船に乗り込んだ弟。しかし、クラゲの反応を魚群と勘違いして投網、怒った船頭さんに海に放りこまれたことも多々ありました。魚探が魚群らしき反応をキャッチしはじめたころから、古野兄弟は漁師さんらに一目置かれるようになってきました。魚探の実験と操作指導のために乗船していた弟は、魚群を次々に探り当てます。そして、あちらこちらで多くの魚影を的中させたため、ついにイワシの神様と呼ばれるようになりました。

魚探開発の発想は、「海の中が見えたらどんなに素晴らしいことだろう」という、まるで少年の夢のような技術屋のシーズでした。魚探が漁船に導入されてからすでに60年以上が経ちます。それまでの漁業界は、勘と経験だけがたよりの世界でしたが、このマシンの登場で漁船操業は科学的で近代的な漁法へ大きく発展しました。

<初期の魚群探知機>世界初の魚群探知機を実用化。

昭和23年、魚群探知機は長崎で誕生しました。当時の魚探は特殊加工された記録紙上にペンを走行させて魚群反応を記録していました。操作も簡単で、電源切断・感度調整・探知レンジ切り換え程度でした。

著者紹介

マリンギアライター 須磨 はじめ さん

神戸市須磨区在住

「ボートフィッシング」では、「すぐに役立つ電子機器解説」の連載を持つ。
著書:「電波航法機器」「電波機器と超音波機器」「魚探・GPS100%使いこなしブック」他